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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

「私は戦争に反対だった」とは言いたくない

以前にこんな日記を書きました。

戦争に加担した責任とは?

その結びでこうこう書いています。

>現代ではこの戦争責任と同じように
>後々責任を問われかねない問題が少なからずあります。
>それに対して、誤らないで答えて行くこと
>それが重要なことだと思います。

その上でこんな質問を問いかけます。

「戦前の日本が良かったか悪かったか?」

「仏教が戦争に加担したのは良かったか悪かったか?」

最近の史観では、

「戦前の日本は悪かった」

「戦争は間違いだった」

という考えが主流のように思われます。
仏教界もそれが多数意見のように思います。

しかし、戦前の日本はそんなに悪かったんでしょうか?
確かに、植民地を作り、戦争を次々と仕掛けたことは
現代の感覚なら「悪」でしょう。
しかし、時代背景を考えないといけません。

戦国武将を戦争を仕掛けたから悪いと言って
非難する人は少ないでしょう。
戦前も多かれ少なかれ、私は
同じようなものだと思っています。

いいところも悪いところもあったというのが
公平な判断で、今の感覚から見ておかしいというのは
正しい評価とは思えません。

当然のことながら仏教界が戦前に戦争に
加担したことについても、良いとも悪いとも思えない
という評価を私はしています。

現代でもそうですが、宗教といえども国家の庇護のもとに
許されているものです。
したがって、自国が戦争に勝つように協力するのは
当然ではないでしょうか。

一方で、仏教が戦争に加担することによって、
仏教の殺生戒との矛盾をどうするか?という問題もあります。

しかしながら、当時としては戦争に加担する方を優先した。

それが、当時としては問題だったかなかったか?
そう思われなかったと見るのが当然のように思われます。

それについて私は問題にしようとは思いません。

しかし、現代では何故か、不思議なことに

「戦争に仏教が加担したのは間違い」

のように語られています。

現代でも仏教が戦争に加担するのが是か非かという
問題があります。

多分仏教者にアンケートを取れば圧倒的に

「仏教は戦争に加担すべきではない」

という意見が占めるでしょう。

でも、

仏教者は本当に戦争に反対できるか?という疑問があります。
国家権力に対抗するのは結構大変です。
それゆえ、現実に日本が戦争に巻き込まれたら普通の人は
理不尽と思いながらも抵抗することをせず、
やむを得ず従わざるを得ません。

しかし、一般社会とは別の信仰と言う基準を持っている
仏教者ならば、普通の人とは別の行動を取れるに違いないと
思いたいところですが・・・

できるか???

その時に備えて国家権力と対峙する練習が必要???

なんか反社会的団体のようですね(*^_^*)

先日、税務署員が私が過去帳の開示をしないことに対して

「お寺は反社会的な団体(民○商○会?)ではないでしょうから、
ご協力お願いします」

「いえ、仏教は反社会的な教えですよ」
と対抗しましたが・・・(*^_^*)

何はともあれ、世間が戦争に向かっている時に反対するのは
相当大変です。
それどころか、他国軍(米軍)が日本に駐留していること、
自衛隊を海外に派遣すること、たった、こんなことですら
反対意見が少ないのは不思議です。

戦前の教訓は戦争に反対することではないように思います。
むしろ、それより重用なのは、間違っていることを
はっきり間違いだといえること。

「実は私は戦争に反対だった」

この言葉だけは私は言いたくないと思います!

最終更新日 2009年05月06日


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